相手の立場に立つ


2000.3月号

 患者さんの立場や気持ちを汲み取れず、言葉の足りない応対をして、行き違いが生ずることがあります。誤解され真意が伝わらないときほど、もどかしく 切ない思いに駆られることはありません。夜は苦いビールになります。‘相手の立場に立て’とは英語で‘Put your feet into his(her) shoes.’(他人の靴を履いてみろ)と言うのだそうです。

昭和49 年3 月、小野田寛郎少尉がフィリピンのルバング島で見つかり、30 年ぶりで故国の土を踏みました。24 歳の一青年が、相手の立場に立って行動し、ひと一人を救ったのです。
この島に元日本兵がいるらしいとは終戦直後から噂されていました。小野田さんと一緒に‘戦って’いた小塚一等兵が、昭和47 年にフィリピン軍捜索隊と遭遇して射殺され、彼が島にいることが確実となりました。敗戦を信じず、一人になってもなお、島で‘戦い’続けているのです。捕 虜になるくらいなら死ね、家族は村八分。戦前の教育です。
日本から大捜索団が島に送り込まれ、戦争は終わったこと、捕虜にはならないから安心して出て来て欲しいことをいろいろな手段で呼びかけました。86 歳のお父さんも兄弟達もスピーカーで必死に語りかけました。平和な日本を伝える邦字新聞をビニール袋に入れて、島のあちこちに置いたりもしました(これは 妙案!と思ったのですが)。しかし、3度にわたる‘救出’活動も実を結ばず、捜索隊は空しく帰国せざるを得ませんでした。
記事も新聞に出なくなり、世間が小野田さんを忘れかけた頃、鈴木紀夫さんという青年が、単身で彼と会うことに成功しました。日本中、上を下への大騒ぎで す。
小野田さんが落ち着いてから書いた本(わが回想のルバング島・朝日新聞社)を一晩で読み切りました。スピーカーの呼びかけで‘敵’の位置が分かり、いち 早く安全な地域に‘退避’できた。見出しが左から右に書いてある新仮名遣いの新聞はアメリカ軍の謀略。親兄弟の必死の呼びかけも、自分を引きずり出すため の米軍の強要、等々。‘戦友の仇’と復讐に燃えて彼は‘戦って’いました。
見通しの良い草原のど真ん中に鈴木さんは一人でテントを張り、料理の匂いをさせながらひたすら待ちました。数日の偵察で仲間がいないことを確かめ、油断 なく銃を構えながらついに小野田さんが現れました。戦友を失って一人ぼっちになった人間の心のヒダに、24 歳の鈴木さんはさりげなくしみ込んだのです。どうしたら日本に帰ってくれるのかの問には、島で戦えと命じた上官から直接命令解除されたら、と答えました。 再会を約束して鈴木さんは日本大使館に駆け込みました。幸い元上官は健在で、命令解除の感動的な写真が新聞のトップを飾ったのです。延べ2万人にのぼる大 捜索団は要らなかったのです。
“小野田さんを見つけに行って、小野田さんに発見された鈴木です。”記者会見での自己紹介です。相手の立場に立てる、感性豊かなユーモリストであったに 違いありません。冒険家の彼は、数年後ヒマラヤに雪男を捜しに行き、雪崩に巻き込まれて亡くなりました。
青春を賭けた小野田さんの30 年戦争も知らず、ガングロギャルは厚底靴に‘乗って’平和な街をノー天気に闊歩しています。“そんなポックリで脚を回すように歩いたら花魁(おいらん)だ いっ!”と若い人には決して分からない冗句をつぶやく、戦争から少し経って生まれ出たおぢさんであります。

P.S.1;当科では訪問歯科診療にご尽力されている先生方を積極的に支援しています。抜歯や抜髄などのリスクが高い治療 には、短期入院でも対応いたします。ご記憶下さい。
P.S.2;放射線科井田医長の協力により、顎関節の鮮明なMRI が撮影できます。詳しい読影・解説付きです。お声掛け下さい。

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