ナースな仲間たち~幹部編~
庶務課長の松井です。
病院と私 事務職である私が現在なぜ病院で働いているのか。 私が初めて病院勤務となったのは、平成22年7月に管理職昇任で都立松沢病院医事課長に着任した時です。
それ以前は主に予算関係の仕事が多かったのですが、その時に病院経営本部の担当だったことがあります。病院側から見るとお金を握っている「敵」です。 もっと告白?すると、当院が東京都から保健医療公社に移管されることを決定した時の担当者でした。当院に異動してきたのは運命というか、責任を取らされているというか、自分でやってみなさいということなのかなと思っております(笑) 私生活においての病院との関係は、自分自身は大きな怪我や病気の
経験はありませんが、母親が独身時代に看護師として働いていました。 後は下の子の入院の経験があります。生まれた日に大学病院に転院し(その付き添いで初めて救急車に乗りました)、翌日手術。 |
趣味の話 趣味はいろいろありますが、特にというと「本を買うこと」です。
読書ではありません。あくまでも「買うこと」です。 【写真 居間の状況①】 根本にあるのは「教養」「知識」「思想」等への憧れとその裏返しのコンプレックスだと思うのですが、私は本屋が大好きで、基本的に平日は毎日寄り、店内を一回りします。そして気に入った本があると買ってしまうのです。本屋にいるだけで、知識が吸収されているような錯覚に陥っているのかもしれません。 時代は電子書籍だと思いますし、確かにスペース面を考えると魅力はあります。ですけど紙の書籍が好きなんですよね。紙の質感、匂い… 病院の事務職 病院の事務職の役割は主に3つあるのではないかと考えています。 「医療で地域を支える」ためには、医療スタッフが継続して良質な医療を提供できるように、事務職が支えていかなければならないという想いで日々働いています。 |
麻酔科部長の米良です。
1 子どものころの夢は? 特撮映画監督,競馬の騎手,オーケストラの指揮者,作曲家 |
2 医師を志したきっかけや理由は? 高校生になって一応医師免許は取得しておこうと考えた. |
3 趣味は? たくさんあります. ① 映画鑑賞 |
② 野球 |
③ 剣道 |
④ 模型製作 |
⑤ 博物館・美術館巡り |
⑥ 自転車 |
⑦ 音楽 |
⑧ 楽器収集 |
⑨ 読書 |
⑩ 食べ物 |
⑪ 散歩 |
⑫ ボクシング観戦 |
⑫ ボクシング観戦 |
⑭ スポーツ観戦 |
4 休日の過ごし方は? 現在は,野球観戦(小学校,中学校,高校)が主体に,上記の趣味をちょっとずつ. |
5 部長の仕事って大変ですか. 大変です.私はとても忘れっぽく事務的能力が極めて劣っています.でも,麻酔科スタッフ,手術室スタッフ,外来スタッフがみんな優秀でカバーしていただけるので,とても助かっています. |
6 科の特徴を教えてください. 麻酔科は,手術室での麻酔をはじめとして,麻酔科外来でのペインクリニック治療,ICUのベッド管理や呼吸管理などを行っています.手術室の安全な運営には各科と手術室スタッフと麻酔科との調整が必要で,お互いに信頼関係を構築していくことがとても重要です.当院はその点ではおかげさまで非常にうまくいっていると思います. |
7 看護師や医師,他職員に期待することは何ですか. みなさん期待以上の働きをしていただいているので,とても感謝しております. |
神経内科部長の田久保です。
1.子供の頃 私は昭和30年に大田区の下町に生まれました。 ちょうどテレビが普及し、月光仮面・スーパーマンなどが人気で、マントを付けて、工場の材木の上から飛び降りたり、チャンバラをしたりしていました。 少年サンデー・マガジンも発行され、漫画も読みふけっていました。 名前の由来は湯川秀樹博士(日本人ではじめてのノーベル賞受賞者)にちなんで付けられたので科学者にも憧れていました。また本が好きで、誕生祝いはいつも本をおねだりしました。特に推理小説が好きでシャーロックホームズを尊敬し、少年探偵団を愛読し、好きな本が無料で読める本屋にもなりたかったです。 2.医師を目指した理由 中学から理化部に所属し、1学年上の先輩とビタミンの実験などをして学生科学賞に参加したり、男子校で内気でshyな性格で根暗な生活をしていました。 高校2年進路を決めるときになって、それまでは理科系クラスにいたので漠然と理工科を考えていましたが、医師は科学者でもあること、会社勤めの煩わしさがないこと(勤務医をしているとこれは間違いと気がつきました)、TVで見た「白い影」というドラマの外科医、ニヒルな田宮二郎に憧れたことなどにより医学部を目指しました。親戚中に誰も医師はいなかったので周囲はびっくりしましたが、両親、担任や先輩の勧めもあり無事医学部に入ることができました。また神経内科を選んだ理由は脳外科・神経内科の授業が面白く、興味深かったこと、神経内科の診断が推理小説の謎を解いていくようで名探偵のように思えました。体力面では脳外科に耐えられないと考え、神経内科を専攻しました。今でも間違いはなかったと信じています。 あまり趣味がありません。ゴルフもギャンブルもしない、酒も弱いので、良く何が楽しみなのか聞かれて困りますが、家族で旅行に行くことが好きでした。 1990年代にアメリカに3年間余りいたことがあります。彼らは仕事と個人生活の切り替えが上手で非常に家族思いでした。私も感化されて、毎年1-2回、車を運転して北はカナダ東部、南はフロリダ、西海岸、カナダロッキーなど2週間位自炊しながら、ドライブ旅行をしました。その光景・家族と過ごした時間は今でも心の支えです。 子供が小さいときは元気に出かけたりしましたが、最近は子供たちも親離れしたので妻に連れられて夫婦2人で時々出かけるようにしています。とはいうものの、土日も勤務・当直、研究会・学会が多いので月に1回程度でしょうか。夫婦割引の映画、食べ歩き、街歩き、演劇・ミュージカルなど。あとはぼーっとしてDVD/TVをみて過ごします。最近はポンパレにはまっています。 将来は3週間くらい休みをとってゆっくりバカンス・海外旅行をするのが夢です。時間ができて退職した頃には体が言うことをきかなくなりそうですが。 4.部長の仕事 平成10年に埼玉県の病院に部長で赴任して以来、責任者としては公立病院・大学附属病院など経て当院は4つ目の病院です。それぞれの病院の特色がありますが、診療科のトップとして最終的な責任を負うことが求められます。患者さんの診療が最重要ですが、当院の神経内科医師は専門医が多く、安心して診療を任せられます。 院外の仕事は主に近隣の医師会・薬剤師会との勉強会、神経内科医師の研究会・学会、地域住民対象の講演会などがあります。そこで講演・座長・司会・症例報告などを行い、病診連携・病病連携・広報活動に努めています。また、新薬の開発に協力して治験も多数行なっています。現在は脳梗塞の急性期の抗血栓療法、パーキンソン病、アルツハイマー型認知症、多発性硬化症などが進行中です。医学の発展・進歩に少しでも貢献できると良いですね。 5.皆さんに期待すること 仕事の上では冷静沈着で、表情・言葉は優しく、自分の家族・身内が患者になったらどうするかと想定して仕事をして欲しいです。病気になると心配で弱気になります。そこで優しくされると大変ありがたいと思います。患者さんからありがとうと言われると疲れた体にもまた力が湧き出てきます。また職種が違っても相手の立場を思いやる気持ちを大事にしてください。 |
外科部長の江口です。
子供のころ: 終戦からまだ10年もたっていない時期に生まれ、高度成長
とともに育ってきました。 昆虫採集が好きだったから昆虫博士にでもなろうと思っていたかも知れません。 小学生の高学年になったころは探検家や冒険家だったと思います。 遊びといえばメンコ、ビー玉、ベーゴマ、缶けりなど。スポーツといえば 野球か相撲でした。要するに朝から晩まで泥んこになって遊んでいました。 |
どうして医者に?: 子供のころはよく怪我をし、病気がちでもあったので、漠然と恩返しもいいのかなと思っていたこともありましたが、実は自分の進路を決めるような時期になってもなかなか決定できず、大学も医学部の他に理学部(天文学者になり宇宙の神秘を探りたいと思った。これが第一志望)と工学部(元来ハンダゴテ少年だったので)を受験したほどで、今でいうモラトリアム状態でした。 |
趣味:
熱しやすく冷めにくいのが特徴です。 スキーは中学生時代から今でも続けていて、毎冬荏原病院互助会主催の スキーには万難を排して参加しています。 乗馬は独身時代から細々と今でも続けているのですが、最近はなかなか乗るチャンスが無く寂しい限りです。他にもテニスなどスポーツは大好きですが、ゴルフだけはやりません。何故かは長くなるのでここには書きません。文化?面ではオーディオ(真空管アンプを作ったりもします)、アクアリウム(錦鯉から海水魚まで)などなど、「広く浅く」です。 休日: 最近は子供たちが遊んでくれないので、上記の趣味に費やしています。 部長の仕事: 外科という仕事ほど面白いものは無いと思っています。大変かもしれないけれどもやりがいがある。 当院外科の特徴: 世界一の外科を目標に積極的に治療を行っています。高齢者が多く、100歳を超える方も手術しましたが、皆さん今もお元気です。小切開による開腹手術も特徴の一つと思います。ヒューマンハンズの御旗のもと皆明るく楽しく頑張っています。 看護師さんなど他の職員の方へ望むこと: 少しでもより良い医療を目指して、個々に考え励み、毎日を充実した日々にして下さい。そのためには遠慮なく思うところを述べて頂き、意見交換することも必要だと思います。 |
循環器内科部長の仁禮です。
1 子供のころ 幼稚園に入る前、よく父の自転車の後ろに乗って線路に連れて行ってもらい、磐越西線や会津線の列車を見ていました。当時は蒸気機関車が客車や貨車を牽いていましたが、磐越西線は大型のD50、D51、C57など、会津線は小型のC11やC12でした。小型といっても子供の私にとっては非常に大きく、蒸気をしゅっしゅっと線路に吐き出し踏切の前でぼーっと鳴らす汽笛は恐怖以外の何者でもなく、父の後ろに隠れるようにしてそっとこわごわ覗いていました。 |
父も鉄道が大好きだったので息子を連れて汽車を見に行ったのだと思います。私も自分の息子を連れてよく鉄道を見に行ったり旅行したりしました。 |
2 趣味は 5年前から始めた山登りです。月2回のペースで出かけています。 夏は涼しい福島、栃木、群馬、長野県の標高2000m以上の山々へ、もちろん富士登山も毎年しています。 |
部長といっても入院患者の主治医をしたり救急当番をしたりと診療については医長とあまり変わりはありません。ただし医長と比べて院内での会議が多く、対外的にもよく講義、講演および司会を依頼されます。 診療科の責任は常に問われますので、科全体の診療内容、患者さん・家族との対応などについては関係部署と連絡を密にとることも大事です。トラブルが発生した場合には、率先して迅速に対応するよう心がけています。 循環器内科は心臓および大血管の疾患を扱うので、いわゆる急変がおこります。よく「一寸先は闇」と若い医師や循環器病棟の看護師さんに話すのですが、現在患者さんが落ち着いていても1分後にはどうなっているかわからない、休めるときにはしっかり休み、いざ仕事となったら一心不乱に急変した患者さんのことのみに集中して仕事する、そういう診療をこなせるようにすることが大切だと思います。 |
私は病気で当院に入院した経験があります。患者や患者の家族の立場から看護師をみると、一番大切なことは「やさしさ」だと思います。「気が利いたり」、「仕事ができる」のはその次です。精神的、肉体的にまいっている患者が相手ですから、看護師さんにやさしくされないと患者さんはつらいです。やさしくされると心がなごみ苦痛も緩和されます。看護師さんにも人間ですからいろいろな性格の方がいると思います。 組織は多様性に富んでいるほど発展性があるので、様々な特徴をもった人がいた方がよいのですが、患者さん対しては、皆さんやさしく接してください。やさしさをベースにその人らしさをだしてくれればきっといい看護ができると思います。 |
副院長の秋山です。
子供の頃の夢 小学校では電車の運転手が夢でした。 |
体も弱く、医者にはよくお世話になっていたので、 |
副院長になって半年。 |
趣味は |
休日には |
職員に期待すること 最近は無理、難題を言ってくる方も少なくないようですが、そんな時にも医療者としての品格を保ち、凛とした態度で接してもらいたいと思います。 |
副院長の押です。
子供の頃の夢 それはプロ野球の選手になることでした。 |
医師を志したきっかけや理由は? 高校生の時医者を目指さないかと勧められた時、「血をみるのが怖いから」とお断りしました。
諸般の都合で高校卒業後防衛大学校に入学しました。初めて校内に入った時、先輩方がライフルを担いで行進しているのをみて、とんでもない所に来てしまった、と思いました。 ではどうするか??個人的で、ヒトに役立つ、感謝されることが実感できる(当時の考え)医者が良いかなと考え医学部を目指しました。しかし交通事故の当事者をみては「背筋がゾー」としたり「大学で初めて解剖を見た時には気分が悪くなり倒れてしまったり」、本当に医者になれるのか随分心配しました。結果的には外科系の泌尿器科医になって数多くの手術を手掛けることになりましたが。10年後位になって天職と感じるようになりました。 |
趣味 医学部に入った時にお世話になった方からゴルフを勧められ、柄にもないと思いましたが、これも経験と思って始めました。実際のラウンドでは思うように行かず却ってストレスになることが多いのですが、何度でも打てる練習場では上達したような気分(錯覚)になれるので、自分には「練習が趣味」のようになっています。今にうまくなることを夢見て練習場に通っています(何年同じ思いなのか!)。 実家が農家なので月一千葉鴨川に行っては草刈り・草取りをしています。 ただ草取りだけではつまらないので、10年ほど前から畑に野菜を植えて成長を楽しみに行くようにしてます。写真は今年収穫したサツマイモと落花生(1株)です。毎年一番力を注いでいるのが「枝豆」です。取り立ての枝豆は一味違います。ビールも美味い!! 夏には海でボデイボードが楽しみです。サーフィンに憧れますが、とても出来そうもないので簡単なボードで楽しんでいます。結構楽しいものです。一番はお金がかからず楽しめることです。結構スピード感あります。誰にでも簡単に楽しめる点も。 |
休日の過ごし方 通勤に1時間40分かりますので、電車のなかで楽しめる文庫本を図書館に借りに行ったりしてます。仕事や教養のための読書をすれば良いと思うのですが、ついつい楽しい小説(今は旅情ミステリー)を選んでしまいます。 最近はネットでいろいろ検索する時間が多くなりました。楽しいですね!
小説に出てくる地名を追っていくのも一つです。実際そのルートを旅行したことも。 |
副院長の仕事 平成23年4月からの新米副院長です。これまでの臨床医とは全く異なった立ち場なので戸惑いました。ようやく環境になれてきた感じではありますが、まだまだ日々勉強です。 |
職員に期待することは それぞれの環境のなかで、各人がやりがいを持ってお仕事をして欲しいと思います。 |
事務長の泉川です。
荏原病院事務長として4年目になります。 | |
例えば、当院の使命である感染症医療の提供にあたっては、一昨年の新型インフルエンザ流行時にはICTの医師、看護師が中心となり、各スタッフ と協力して患者に対応し、感染症指定医療機関としてさすが荏原病院と高い評価を得ました。事務部門は、これらの活動を支える基礎と考えています。 | |
この基礎を臨機応変に組み替えていくことが事務長の仕事と考えています。 | |
現場の皆さんもそうでしょうが、事務長としても一つひとつの事柄に前向きに取組み、 困難を乗り越えて一応の結果が残せたときに達成感を感じます。 看護職の皆さんは、仕事が忙しいなか温かい気持ちで日頃から患者さんに接し、 |
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話は変わりますが、私は、高尾から通っています。 |
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休日になると山登りや森林浴でリフレッシュする人でにぎわいます。 こういう風景をみていると、荏原病院看護部のモットーである 「イキイキ働きイキイキ遊ぶ」の大切さがよくわかります。 |
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最後に、荏原病院では、皆さんのキャリアアップへの応援は惜しみません。 |
こんにちは、看護部長の村川です。
食べることが大好きな私です。 私の住んでいるところは江東区北砂です。 (銀座と付く商店街は数多くあります。この近くですと戸越銀座がありますね。) |
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この砂町銀座商店街で長~い行列が出来るお魚屋さんがあります。
確かにお刺身や魚貝類などは安くて新鮮です。 |
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墨東病院に勤務していたときは友人を誘って食べに行きました。 長~い行列と、その美味しさにビックリしていました。 | |
私のお勧めは写真にある厳選海鮮丼(1890円)です。盛りだくさんのイクラやうに、ボタンえびがのっています。 わかりますか。以前の私はこの海鮮丼をペロッと食べていましたが、最近は「ご飯を少なくしてください」と注文して食べています。 | |
食べる前に横からと上から撮って見ました。美味しそうでしょう! |
海幸は魚が新鮮で安いのでお勧めのお店なのですが、 |
お酒大好きな息子は「あそこはすし屋じゃねーよ」と生意気なことを言っています。 |
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安くて美味しいものがあればどこまでも、野を越え、山を越え、探し当て愉しんでいるこのごろです。 |
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皆さん!お勧めのお店を教えてください。 |
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稲田院長ってどんな人?
院長の仕事って大変ですか?
最後に職員に期待することを教えてください |