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ナースな仲間たち

ナースな仲間たち~幹部編~

庶務課長の松井です。

病院と私

事務職である私が現在なぜ病院で働いているのか。
それは… 単なる「人事異動」です(笑)

当院が属している東京都保健医療公社は、東京都庁のいわゆる 「外郭団体」で、都庁から派遣されている職員がいます。 私もその一人です。

私が初めて病院勤務となったのは、平成22年7月に管理職昇任で都立松沢病院医事課長に着任した時です。
そして23年8月に荏原病院に「異動」してまいりました。

それ以前は主に予算関係の仕事が多かったのですが、その時に病院経営本部の担当だったことがあります。病院側から見るとお金を握っている「敵」です。
当時、まだ都立病院であった当院に見学に訪れたことがあります。後に自分が働くことになるとは思っていませんでしたが。

もっと告白?すると、当院が東京都から保健医療公社に移管されることを決定した時の担当者でした。当院に異動してきたのは運命というか、責任を取らされているというか、自分でやってみなさいということなのかなと思っております(笑)

私生活においての病院との関係は、自分自身は大きな怪我や病気の 経験はありませんが、母親が独身時代に看護師として働いていました。
一時期は都立梅ヶ丘病院にも勤務したことがあるそうです。
半世紀前の話ですが。

後は下の子の入院の経験があります。生まれた日に大学病院に転院し(その付き添いで初めて救急車に乗りました)、翌日手術。
NICUとGCUに2ヶ月ほど入院しました。

趣味の話

趣味はいろいろありますが、特にというと「本を買うこと」です。 読書ではありません。あくまでも「買うこと」です。
もちろん読書も好きですが、読書のスピード以上に本を買ってしまいます。
その結果がこれです。

【写真 居間の状況①】
ここは居間です。【写真①】気をつけて通らないと崩れます。
奥さんは怒るのを通り越してあきれています。
反対側から見るとこうなっています。【写真②】

根本にあるのは「教養」「知識」「思想」等への憧れとその裏返しのコンプレックスだと思うのですが、私は本屋が大好きで、基本的に平日は毎日寄り、店内を一回りします。そして気に入った本があると買ってしまうのです。本屋にいるだけで、知識が吸収されているような錯覚に陥っているのかもしれません。

時代は電子書籍だと思いますし、確かにスペース面を考えると魅力はあります。ですけど紙の書籍が好きなんですよね。紙の質感、匂い…
おまけに私は雑誌やマンガも好きでして、週に10冊以上買います。写真でも後ろの壁際に積まれていますが。

病院の事務職

病院の事務職の役割は主に3つあるのではないかと考えています。
①患者さんと医療とのつなぎ役、②医療スタッフが働きやすい環境づくり、
③病院経営への参画の3点です。もちろん相互に関係していますが。

「医療で地域を支える」ためには、医療スタッフが継続して良質な医療を提供できるように、事務職が支えていかなければならないという想いで日々働いています。

麻酔科部長の米良です。

1  子どものころの夢は?

特撮映画監督,競馬の騎手,オーケストラの指揮者,作曲家

2  医師を志したきっかけや理由は?

高校生になって一応医師免許は取得しておこうと考えた.

3  趣味は? たくさんあります.

① 映画鑑賞
荏原病院映画研究会を主宰しています.月1回程度不定期に開催しています.鑑賞した後ディスカッションを行っています.希望者は連絡ください.今まで一番感動した映画は,小学校2年生の時に観た『モスラ』です.

② 野球
12年間,小学生野球チームのコーチをしていました.土日祭日はすべて野球のために費やしていました.現在は小学生と中学生のチームドクターをやっています.

③ 剣道
剣道三段です.大学生までやっていました.

④ 模型製作
小学生の頃から主に戦闘機や戦車を作っていましたが,ここ数年はレジンやメタルなどを素材とした1/43ミニカーに嵌っています.

⑤ 博物館・美術館巡り
月1~2回のペースで都内の博物館はほとんど行きました.絵も大好きです.

⑥ 自転車
一時,ずいぶん凝りました.愛車はampリサーチ(ベンツの自転車を作っていたメ ーカー)です.シマノのXTを装備しています.前後フルサスペンションの自転車では世界最軽量で,10kgしかありません.カッコイイです.

⑦ 音楽
クラシック,ポピュラー,ジャズ,演歌,民謡,なんでもジャンル問わず好きです. 音楽鑑賞,演奏,作曲,なんでもやります.

⑧ 楽器収集
永遠の趣味です.ピアノ,エレクトーン,シンセサイザー,ギター(クラシック,エレキ,フォーク),ウクレレ,オカリナ,ケーナ,鉄琴,@@@@@@

⑨ 読書
SFミステリー,環境,推理,模型雑誌,科学雑誌,超常現象など
最近は,ミツバチの大量@@@@@がおもしろかったです.

⑩ 食べ物
ラーメン研究会,蕎麦研究会,うどん研究会,ランチ研究会,オムライス研究会を 主宰しています.希望者は連絡を下さい.土曜日のお昼に活動しています.

⑪ 散歩
最近健康状態がマズイので,努めて歩くようにしています.1週間に5万歩は歩くよ うにしています.都内の名所はほとんど歩きました.車の通らない細い道や舗装されていないところを探して歩いています.

⑫ ボクシング観戦
5歳の頃から一番熱中して観ていたスポーツです.ファイティング原田,青木勝利,海老原がデビューしたころから観ています.東京に出てきて 一番嬉しかったのが後楽園(ボクシング観戦)に行けることでした.

⑫ ボクシング観戦
ボクシングと共に,最も好きなスポーツのひとつです.物心ついたときから夢中になっています.大鵬が新入幕の頃から覚えています.初代若乃花と初代朝潮の試合ははっきり覚えています.大相撲だけではなくて学生選手権や全日本選手権もよく観に行きます.

⑭ スポーツ観戦
基本的にスポーツは大好きです.上記以外にも野球,サッカー,バスケットボール,バレーボール,水泳,マラソン,陸上(短距離,中距離,長距離),走り幅跳び,走り高跳び,障害レース,特に十種競技は大好きです.

4  休日の過ごし方は?

現在は,野球観戦(小学校,中学校,高校)が主体に,上記の趣味をちょっとずつ.

5  部長の仕事って大変ですか.

大変です.私はとても忘れっぽく事務的能力が極めて劣っています.でも,麻酔科スタッフ,手術室スタッフ,外来スタッフがみんな優秀でカバーしていただけるので,とても助かっています.

6  科の特徴を教えてください.

麻酔科は,手術室での麻酔をはじめとして,麻酔科外来でのペインクリニック治療,ICUのベッド管理や呼吸管理などを行っています.手術室の安全な運営には各科と手術室スタッフと麻酔科との調整が必要で,お互いに信頼関係を構築していくことがとても重要です.当院はその点ではおかげさまで非常にうまくいっていると思います.

7  看護師や医師,他職員に期待することは何ですか.

みなさん期待以上の働きをしていただいているので,とても感謝しております.

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神経内科部長の田久保です。

1.子供の頃

私は昭和30年に大田区の下町に生まれました。
実家は町工場で、「Always 3丁目の夕日」のような社会で過ごしました。家の屋根に登ると富士山がよく見えました。高度経済成長で仕事が多く、よく日曜日も仕事がありました。休みの日は、工場のお兄ちゃんたちに遊んでもらいましたし、私も時々ペンキ塗りなどをして手伝い、跡継ぎ息子と思っていました。

ちょうどテレビが普及し、月光仮面・スーパーマンなどが人気で、マントを付けて、工場の材木の上から飛び降りたり、チャンバラをしたりしていました。

少年サンデー・マガジンも発行され、漫画も読みふけっていました。

名前の由来は湯川秀樹博士(日本人ではじめてのノーベル賞受賞者)にちなんで付けられたので科学者にも憧れていました。また本が好きで、誕生祝いはいつも本をおねだりしました。特に推理小説が好きでシャーロックホームズを尊敬し、少年探偵団を愛読し、好きな本が無料で読める本屋にもなりたかったです。

2.医師を目指した理由

中学から理化部に所属し、1学年上の先輩とビタミンの実験などをして学生科学賞に参加したり、男子校で内気でshyな性格で根暗な生活をしていました。 高校2年進路を決めるときになって、それまでは理科系クラスにいたので漠然と理工科を考えていましたが、医師は科学者でもあること、会社勤めの煩わしさがないこと(勤務医をしているとこれは間違いと気がつきました)、TVで見た「白い影」というドラマの外科医、ニヒルな田宮二郎に憧れたことなどにより医学部を目指しました。親戚中に誰も医師はいなかったので周囲はびっくりしましたが、両親、担任や先輩の勧めもあり無事医学部に入ることができました。また神経内科を選んだ理由は脳外科・神経内科の授業が面白く、興味深かったこと、神経内科の診断が推理小説の謎を解いていくようで名探偵のように思えました。体力面では脳外科に耐えられないと考え、神経内科を専攻しました。今でも間違いはなかったと信じています。

あまり趣味がありません。ゴルフもギャンブルもしない、酒も弱いので、良く何が楽しみなのか聞かれて困りますが、家族で旅行に行くことが好きでした。

1990年代にアメリカに3年間余りいたことがあります。彼らは仕事と個人生活の切り替えが上手で非常に家族思いでした。私も感化されて、毎年1-2回、車を運転して北はカナダ東部、南はフロリダ、西海岸、カナダロッキーなど2週間位自炊しながら、ドライブ旅行をしました。その光景・家族と過ごした時間は今でも心の支えです。

子供が小さいときは元気に出かけたりしましたが、最近は子供たちも親離れしたので妻に連れられて夫婦2人で時々出かけるようにしています。とはいうものの、土日も勤務・当直、研究会・学会が多いので月に1回程度でしょうか。夫婦割引の映画、食べ歩き、街歩き、演劇・ミュージカルなど。あとはぼーっとしてDVD/TVをみて過ごします。最近はポンパレにはまっています。

将来は3週間くらい休みをとってゆっくりバカンス・海外旅行をするのが夢です。時間ができて退職した頃には体が言うことをきかなくなりそうですが。

4.部長の仕事

平成10年に埼玉県の病院に部長で赴任して以来、責任者としては公立病院・大学附属病院など経て当院は4つ目の病院です。それぞれの病院の特色がありますが、診療科のトップとして最終的な責任を負うことが求められます。患者さんの診療が最重要ですが、当院の神経内科医師は専門医が多く、安心して診療を任せられます。

院外の仕事は主に近隣の医師会・薬剤師会との勉強会、神経内科医師の研究会・学会、地域住民対象の講演会などがあります。そこで講演・座長・司会・症例報告などを行い、病診連携・病病連携・広報活動に努めています。また、新薬の開発に協力して治験も多数行なっています。現在は脳梗塞の急性期の抗血栓療法、パーキンソン病、アルツハイマー型認知症、多発性硬化症などが進行中です。医学の発展・進歩に少しでも貢献できると良いですね。

5.皆さんに期待すること

仕事の上では冷静沈着で、表情・言葉は優しく、自分の家族・身内が患者になったらどうするかと想定して仕事をして欲しいです。病気になると心配で弱気になります。そこで優しくされると大変ありがたいと思います。患者さんからありがとうと言われると疲れた体にもまた力が湧き出てきます。また職種が違っても相手の立場を思いやる気持ちを大事にしてください。

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外科部長の江口です。

子供のころ:

終戦からまだ10年もたっていない時期に生まれ、高度成長 とともに育ってきました。
東京オリンピックの開会式に鼓笛隊として参加 したような記憶があるのですが・・・



昆虫採集が好きだったから昆虫博士にでもなろうと思っていたかも知れません。 小学生の高学年になったころは探検家や冒険家だったと思います。

遊びといえばメンコ、ビー玉、ベーゴマ、缶けりなど。スポーツといえば 野球か相撲でした。要するに朝から晩まで泥んこになって遊んでいました。

どうして医者に?:

子供のころはよく怪我をし、病気がちでもあったので、漠然と恩返しもいいのかなと思っていたこともありましたが、実は自分の進路を決めるような時期になってもなかなか決定できず、大学も医学部の他に理学部(天文学者になり宇宙の神秘を探りたいと思った。これが第一志望)と工学部(元来ハンダゴテ少年だったので)を受験したほどで、今でいうモラトリアム状態でした。
第一志望は振られたため簡単に諦め、拾われたうち、下宿ができるのが魅力的だった医学部を選んだのでした。つまり、かなりいい加減な動機だったのです。

趣味:

熱しやすく冷めにくいのが特徴です。
物心着いたころには野球をやっており、学生時代は全て野球部でした。
医師になってからもチャンスがあれば参加するようにしていましたが流石にこのところやっていません。

スキーは中学生時代から今でも続けていて、毎冬荏原病院互助会主催の スキーには万難を排して参加しています。

乗馬は独身時代から細々と今でも続けているのですが、最近はなかなか乗るチャンスが無く寂しい限りです。他にもテニスなどスポーツは大好きですが、ゴルフだけはやりません。何故かは長くなるのでここには書きません。文化?面ではオーディオ(真空管アンプを作ったりもします)、アクアリウム(錦鯉から海水魚まで)などなど、「広く浅く」です。

休日:

最近は子供たちが遊んでくれないので、上記の趣味に費やしています。

部長の仕事:

外科という仕事ほど面白いものは無いと思っています。大変かもしれないけれどもやりがいがある。

当院外科の特徴:

世界一の外科を目標に積極的に治療を行っています。高齢者が多く、100歳を超える方も手術しましたが、皆さん今もお元気です。小切開による開腹手術も特徴の一つと思います。ヒューマンハンズの御旗のもと皆明るく楽しく頑張っています。

看護師さんなど他の職員の方へ望むこと:

少しでもより良い医療を目指して、個々に考え励み、毎日を充実した日々にして下さい。そのためには遠慮なく思うところを述べて頂き、意見交換することも必要だと思います。

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循環器内科部長の仁禮です。

1 子供のころ

 幼稚園に入る前、よく父の自転車の後ろに乗って線路に連れて行ってもらい、磐越西線や会津線の列車を見ていました。当時は蒸気機関車が客車や貨車を牽いていましたが、磐越西線は大型のD50、D51、C57など、会津線は小型のC11やC12でした。小型といっても子供の私にとっては非常に大きく、蒸気をしゅっしゅっと線路に吐き出し踏切の前でぼーっと鳴らす汽笛は恐怖以外の何者でもなく、父の後ろに隠れるようにしてそっとこわごわ覗いていました。

父も鉄道が大好きだったので息子を連れて汽車を見に行ったのだと思います。私も自分の息子を連れてよく鉄道を見に行ったり旅行したりしました。

2 趣味は

5年前から始めた山登りです。月2回のペースで出かけています。
柔らかい土の上を歩くのが心地よいのと、頂上から絶景を写真に撮るのが楽しみです。朝3時起床、4時出発で1番電車に乗り込みます。主に春と秋は山梨県、冬は静岡県の山に登って富士山を撮影しています。

夏は涼しい福島、栃木、群馬、長野県の標高2000m以上の山々へ、もちろん富士登山も毎年しています。
仕事が忙しいので、全て日帰りです。富士山も自宅を21時すぎに出て夜中の1時に登り始め、早朝に頂上へ着いてお鉢巡りをした後、12時には登山口へ着きますので夕方には自宅へ帰れます。
撮ってきたお気に入りの写真はスライドショーにして一人で悦に入っています。提示した写真は東京都の機関誌に採用されることとなりました。
休日に出かけているにもかかわらず、山登りの最中に病棟から携帯に電話が入ることもあります。俗世のことを一切気にすることなく登山に集中できることがストレス解消に役立っているのですが、いつぞやは山頂に着いたとたん携帯が鳴って雰囲気ぶちこわし、山にいるのか病院にいるのかわからなくなってしまったこともあります。

お釈迦様の手のひらで動き回っている孫悟空のようなものです。


3 循環器内科部長の仕事


部長といっても入院患者の主治医をしたり救急当番をしたりと診療については医長とあまり変わりはありません。ただし医長と比べて院内での会議が多く、対外的にもよく講義、講演および司会を依頼されます。

診療科の責任は常に問われますので、科全体の診療内容、患者さん・家族との対応などについては関係部署と連絡を密にとることも大事です。トラブルが発生した場合には、率先して迅速に対応するよう心がけています。

循環器内科は心臓および大血管の疾患を扱うので、いわゆる急変がおこります。よく「一寸先は闇」と若い医師や循環器病棟の看護師さんに話すのですが、現在患者さんが落ち着いていても1分後にはどうなっているかわからない、休めるときにはしっかり休み、いざ仕事となったら一心不乱に急変した患者さんのことのみに集中して仕事する、そういう診療をこなせるようにすることが大切だと思います。


4 看護師さんに期待すること




私は病気で当院に入院した経験があります。患者や患者の家族の立場から看護師をみると、一番大切なことは「やさしさ」だと思います。「気が利いたり」、「仕事ができる」のはその次です。精神的、肉体的にまいっている患者が相手ですから、看護師さんにやさしくされないと患者さんはつらいです。やさしくされると心がなごみ苦痛も緩和されます。看護師さんにも人間ですからいろいろな性格の方がいると思います。

組織は多様性に富んでいるほど発展性があるので、様々な特徴をもった人がいた方がよいのですが、患者さん対しては、皆さんやさしく接してください。やさしさをベースにその人らしさをだしてくれればきっといい看護ができると思います。
私の場合、お世話になったどの病棟もやさしく私を支えてくれ非常に感謝しています。

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副院長の秋山です。

子供の頃の夢

小学校では電車の運転手が夢でした。
でも近くに国鉄(当時JRは国鉄と呼ばれていました、念のため) 職員のアパートがあり、小学校の同級生にその家族も多く、 彼らからやめるようによく言われました。

体も弱く、医者にはよくお世話になっていたので、
それなら医師になろうと、、、。

副院長になって半年。
今までの仕事とはえらく違う世界なので、まだ戸惑っている状況です。
視野が今までの「血液内科」から「病院全体」に広がったので、頭の整理が大変。

趣味は
第二の人生に向けてこれから作ります。
何をしようかな、、、。

休日には
こんな原稿を書いてのんびり過ごしています。
院長と違い、かけっこは苦手。
料理も食べる専門です。 でも味に音痴なので、量さえあれば
ニコニコです。

職員に期待すること
医療者として誇りを持って仕事にあたってほしいですね。
でも「誇りを持つ」のは「医療者が偉い」と考えることでは全くありません。 誤解のないように。

最近は無理、難題を言ってくる方も少なくないようですが、そんな時にも医療者としての品格を保ち、凛とした態度で接してもらいたいと思います。
そのためには知識、技術のみならず、人として自分を磨かなくてはなりません。
皆で共に努力しましょう。

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副院長の押です。

子供の頃の夢  

それはプロ野球の選手になることでした。
長嶋選手に憧れ、野球中継聞きながら自作のバット(長嶋の子供の頃のエピソードにちなんで、裏山から木を伐りなたで削って作成)で素振りをしたものです。長嶋が三振をするものなら、今に僕が行って助けてやるから などと思いながら素振りに力が入ったものです。遊びと云ったら野球でした。友人とゴムボールで毎日のように野球を楽しんで(練習のつもり)いましたが、そのゴムボールが無くなったり、破れたりして、小遣いでは賄いきれなくなると、親に「プロ野球の選手になればこの位のお金はすぐに返してあげるから貸しておいてよ」といっては強請(ねだ)ったものでした。本当にそのつもりでいましたから。ところが中学の野球部に入って、自分の能力を知りました。

医師を志したきっかけや理由は?

高校生の時医者を目指さないかと勧められた時、「血をみるのが怖いから」とお断りしました。 諸般の都合で高校卒業後防衛大学校に入学しました。初めて校内に入った時、先輩方がライフルを担いで行進しているのをみて、とんでもない所に来てしまった、と思いました。
同室の予定だった同じ新入生は当日帰りました。自分はそこで1年間は下積み生活を経験しましたが、 2年生になって1年生の指導係となった途端に、縦の命令系統に附いていけず(その他諸々の要因はありましたが)急に辞めることにしました。

ではどうするか??個人的で、ヒトに役立つ、感謝されることが実感できる(当時の考え)医者が良いかなと考え医学部を目指しました。しかし交通事故の当事者をみては「背筋がゾー」としたり「大学で初めて解剖を見た時には気分が悪くなり倒れてしまったり」、本当に医者になれるのか随分心配しました。結果的には外科系の泌尿器科医になって数多くの手術を手掛けることになりましたが。10年後位になって天職と感じるようになりました。

趣味

医学部に入った時にお世話になった方からゴルフを勧められ、柄にもないと思いましたが、これも経験と思って始めました。実際のラウンドでは思うように行かず却ってストレスになることが多いのですが、何度でも打てる練習場では上達したような気分(錯覚)になれるので、自分には「練習が趣味」のようになっています。今にうまくなることを夢見て練習場に通っています(何年同じ思いなのか!)。

実家が農家なので月一千葉鴨川に行っては草刈り・草取りをしています。 ただ草取りだけではつまらないので、10年ほど前から畑に野菜を植えて成長を楽しみに行くようにしてます。写真は今年収穫したサツマイモと落花生(1株)です。毎年一番力を注いでいるのが「枝豆」です。取り立ての枝豆は一味違います。ビールも美味い!!

夏には海でボデイボードが楽しみです。サーフィンに憧れますが、とても出来そうもないので簡単なボードで楽しんでいます。結構楽しいものです。一番はお金がかからず楽しめることです。結構スピード感あります。誰にでも簡単に楽しめる点も。

休日の過ごし方

通勤に1時間40分かりますので、電車のなかで楽しめる文庫本を図書館に借りに行ったりしてます。仕事や教養のための読書をすれば良いと思うのですが、ついつい楽しい小説(今は旅情ミステリー)を選んでしまいます。

最近はネットでいろいろ検索する時間が多くなりました。楽しいですね! 小説に出てくる地名を追っていくのも一つです。実際そのルートを旅行したことも。
趣味の項で述べましたが、月に一回は実家に行って農作業をしてきます。

副院長の仕事

平成23年4月からの新米副院長です。これまでの臨床医とは全く異なった立ち場なので戸惑いました。ようやく環境になれてきた感じではありますが、まだまだ日々勉強です。

職員に期待することは

それぞれの環境のなかで、各人がやりがいを持ってお仕事をして欲しいと思います。
そんな環境作りが副院長の仕事の一つと考えています。

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事務長の泉川です。

荏原病院事務長として4年目になります。
病院事業は管理部門を含めて17年になります。
働いた期間の半分が病院運営にかかわっていることになりますね。
病院事業は、毎日が変化の連続で新しい発見がその都度得られやりがいがある仕事と思っています。
いろいろな経験をしましたが、どこの病院でも患者を治療するという目的に向かって医師、看護師等が一体となって取り組むことは変わりません。

例えば、当院の使命である感染症医療の提供にあたっては、一昨年の新型インフルエンザ流行時にはICTの医師、看護師が中心となり、各スタッフ と協力して患者に対応し、感染症指定医療機関としてさすが荏原病院と高い評価を得ました。事務部門は、これらの活動を支える基礎と考えています。

この基礎を臨機応変に組み替えていくことが事務長の仕事と考えています。

現場の皆さんもそうでしょうが、事務長としても一つひとつの事柄に前向きに取組み、 困難を乗り越えて一応の結果が残せたときに達成感を感じます。

看護職の皆さんは、仕事が忙しいなか温かい気持ちで日頃から患者さんに接し、
安楽な療養生活の援助をしています。この業務を通じた経験は自己成長に欠かせません。
荏原病院では現場の実践とステップアップに向けた学習を複合した、しっかりした育成プログラムを持っています。さらに専門知識吸収の研修制度が整備されています。

話は変わりますが、私は、高尾から通っています。
ミシュランの三ツ星を貰ったあの高尾山の麓です。

休日になると山登りや森林浴でリフレッシュする人でにぎわいます。

こういう風景をみていると、荏原病院看護部のモットーである 「イキイキ働きイキイキ遊ぶ」の大切さがよくわかります。

最後に、荏原病院では、皆さんのキャリアアップへの応援は惜しみません。
また、常に働きやすい職場を創る努力をしていきます。
皆さんと一緒に患者さんによろこばれる病院を築いていきましょう。

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こんにちは、看護部長の村川です。

食べることが大好きな私です。
今日は私一押しの美味しいお店を紹介しましょう。

私の住んでいるところは江東区北砂です。
近くによくテレビに出てくる砂町銀座という商店街があります。ご存知ですか。

(銀座と付く商店街は数多くあります。この近くですと戸越銀座がありますね。)

この砂町銀座商店街で長~い行列が出来るお魚屋さんがあります。 確かにお刺身や魚貝類などは安くて新鮮です。
この店が経営しているお寿司屋さん(海幸といいます)があります。
この店も長~い行列ができます。

墨東病院に勤務していたときは友人を誘って食べに行きました。
長~い行列と、その美味しさにビックリしていました。
私のお勧めは写真にある厳選海鮮丼(1890円)です。盛りだくさんのイクラやうに、ボタンえびがのっています。
わかりますか。以前の私はこの海鮮丼をペロッと食べていましたが、最近は「ご飯を少なくしてください」と注文して食べています。
  
食べる前に横からと上から撮って見ました。美味しそうでしょう!

海幸は魚が新鮮で安いのでお勧めのお店なのですが、
寿司職人が握っているのではないので、にぎりを注文すると、
ネタは新鮮ですが、にぎりのご飯が大きいのが難点です。

お酒大好きな息子は「あそこはすし屋じゃねーよ」と生意気なことを言っています。
確かにお酒を愉しんで、おすしも愉しみたいという方にはあまりお勧めしませんが・・・。

安くて美味しいものがあればどこまでも、野を越え、山を越え、探し当て愉しんでいるこのごろです。

皆さん!お勧めのお店を教えてください。
イタリアン、中華、日本料理何でもOKです。
よろしくお願いします。

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稲田院長ってどんな人?
医師を目指した理由は何ですか?
高校生の時は物理学に興味があって(国語と英語が苦手のせいもありました)、大学は理学部進学を目指していました。医学部へ行ったのは受験のマジックですね。
(元来親戚に医師が多かったこともありますけど・・・)

院長の仕事って大変ですか?
まだよくわかりません。
責任の大きさは感じています。
職員の皆さんに満足してもらえる職場作りが大切だと思っています。
顧客満足度の顧客には職員も入ります。

休日の過し方を教えてください。  
基本的にだらだらしています。(家人からはおこられます)
小説を読んだり、TVの将棋番組を見たりしています。
でも!
“皇居一周ランに参加しています”
月に一度都立駒込病院や都立多摩総合医療センターの職員と皇居を一周しています。
医師から看護師、薬剤師、管理栄養士、事務の方を含め、おそらく全職種の方が参加しているのではないでしょうか。
皇居は一周5kmあり、小生はベストが32分30秒です。おそらく30分を切らないと周りの人は走っているとは言ってくれないようです。
最近はタイムがむしろ落ちてきています。
“料理もつくれます”  
自分で晩酌のつまみをつくります。なめろう(銚子の漁師料理)は自慢料理です。
アボカドサラダも得意料理と思っていますが家族からは不評です。

最後に職員に期待することを教えてください
自分が在籍している職場がより良くなるためには一緒に努力したいですね。

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